大阪高等裁判所 平成12年(ツ)2号 判決 2000年8月22日
上告人
笹部隆司
右訴訟代理人弁護士
吉岡良治
被上告人
尾崎光雄
右訴訟代理人弁護士
木村修治
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪地方裁判所に差し戻す。
理由
一 原審が確定した事実は次のとおりである。
1 上告人と被上告人とは、本件賃貸借を締結したが、その作成した契約書の二一条一項には、「上告人は、本契約が終了した時は上告人の費用をもって本物件を当初契約時の原状に復旧させ、被上告人に明渡さなければならない。」との規定がある。
2 上告人は、そのころ、覚書に署名押印して仲介人に交付したが、それには、「本物件の解約明渡し時に、上告人は、契約書二一条一項により、本物件を当初の契約時の状態に復旧させるため、クロス、建具、畳、フロア等の張替費用及び設備器具の修理代金を実費にて清算されることになります。」との記載がある。
3 上告人がそのころ仲介人から交付を受けたビニール袋の中には、確認覚書事項という書面が入っていたが、それには、賃貸物件を明け渡した後に必要となる修理費用等に関し、本件賃貸物件のような2LDKの物件では通常三〇万円から六〇万円程度を要する旨の記載があった。
二 原判決はこの事実のもとで、賃貸期間中の通常の使用による損耗についても上告人が負担するとの契約があったと判断して、損耗を回復する費用は、通常の使用による分も含めて、上告人の負担となると判断した。
三 しかし、右判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。
1 建物の賃貸借において、特約がない場合には、賃借人は賃貸物の返還に際し、その負担で、賃借物を賃貸借契約当時(正確には賃借に際し、引渡しをうけた当時)の原状に戻す義務がある。
その原状回復の限度はつぎのように考えられる。
すなわち、①賃借人が付加した造作は、賃借人が取り除かねばならないし、②賃借人は、通常の使用の限度を超える方法により賃貸物の価値を減耗させたとき(例えば、畳をナイフで切った場合)はその復旧の費用を負担する必要がある。
しかし、③賃借期間中に年月が過ぎたために、強度が劣化し、日焼けが生じた場合の減価分は、賃借人が負担すべきものではないし、④賃貸借契約で予定している通常の利用により賃借物の価値が低下した場合、例えば賃貸建物につけられていた冷暖房機が使用により価値が低くなったときとか、住宅の畳が居住によりすり切れたときの減価分は、賃貸借の本来の対価というべきものであって、その減価を賃借人に負担させることはできない。
2 右は、特約のない場合の原則であるから、右1の原則を排除し、通常の利用による減価も賃借人が負担すべきとする特約が本件であったかが問題である。
3 前記一1の契約書二一条一項の文言は、「契約時の原状に復旧させ」というものであるから、契約終了時の賃借人の一般的な原状回復義務(つまり、右1の内容のもの)を規定したものとしか読むことはできない。右契約条項には、賃借人が通常の使用による減価も負担する旨は規定していないから、そのような条項と考えることはできない。
前記一2の覚書は、右契約書の二一条一項を引用しているから、右契約条項を超える定めをしたとは言えない。その後段部分は賃借人が費用を負担すべき場合(例えば、賃借人が畳をナイフで切った場合)の清算方法を定めたものに過ぎず、右契約条項を超えて通常の使用による減価まで賃借人が負担すると定めたとは解されない。
前記一3の確認覚書事項は賃借人によって同意されたものではないから、それだけで特約があったとすることはできない。
賃貸人としては、通常の使用による減耗も賃借人の負担で修復したいのであれば、契約条項で明確にそのように定めて、賃借人の承諾を得て契約すべきものである。原判決認定のような条項では、被上告人主張のような特約があったとすることはできない。
4 その他原判決認定の諸事実を考慮しても、賃貸人と賃借人との間で、通常の使用による損耗についても賃借人においてその修理、張り替えの費用を負担するとの合意があったとすることはできない。
四 そうすると、この点の原判決の判断は契約の解釈を誤ったものであって破棄を免れない。そして、被上告人の支出した費用が、通常の使用による減耗を超えるものの修復に必要なものであったかについて審理する必要があるから、本件を原裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 井関正裕 裁判官 矢田廣髙 裁判官 牧賢二)